2

■An Evening With Dando Shaft ('70)
Evening With Dando Shaft
ダンド・シャフトは、バート・ヤンシュとの仕事で知られるマーティン・ジェンキンズ(g,mand,vn,vo)がいた英フォークグループ。これはYoungbloodというインディーから出たファーストで、全曲オリジナル。非常に緊迫感のある演奏で、それでいてリリカルな部分もある感じ。プログレ・ファンにはRCA/Neonに移籍した2枚目(女性voのポリー・ボルトンが参加、ジャケットはキーフ)の方が有名か。
===============================================
a■Rick Danko ('77)
リック・ダンコ
b■In Concert ('97)
c■Time Like These ('
ザ・バンドの中にあって若々さ(やんちゃさとも言う)をアピールしていたリック・ダンコは、ザ・バンドが活動を停止すると、いち早くソロアルバムに着手。77年に出たaは、ロン・ウッド、クラプトン、ダグ・サームらゲストを加えた傑作。枯れた味わいの"Sip The Wine"はオリジナルの表記があるが、実はティム・ドラモンド作で、これはマズいのではないか?78年にはジェイ・ファーガスンを前座にして初来日し、積極的なソロ活動が期待されたが、その後はフェード・アウト。再結成ザ・バンドが、リチャード・マニュエルの死で活動が途絶えた97年、立ち上げたWoodstockというレーベルよりリリースしたライヴがbで、往年の姿の見る影もない悲惨な出来。cはまだましだが、キビシイ言い方だけど、あくまでもノスタルジー・サーキットの中での活動。来日中、ドラッグ不法所持の為強制送還、その後死が伝えられた晩年はいかにも寂しい。
===================================================
■California Stop-over ('70)
カリフォルニア・ストップ・オーヴァー
ジョニー・ダレルの本作がCD化されたのは、ルーツロックの再評価のおかげだろう。ラリー・マレイがprodした南カリフォルニア産の甘いカントリーロックの佳作。バーズのクラレンス・ホワイトのstringsbenderを大きくフィーチャーし、ジャクソン・ブラウン、リトル・フィートらのナンバーをカヴァー。ダレルという人は、60's後半がピークのカントリー・シンガーで、新時代に対応可な人ではなかったけど、このアルバムは忘れられない。レーベルはLiberty。
==================================================================
a■Baby ('71)
b■Backwoods Woman ('72)

c■Mountain Mama ('73)
巨漢の女性ssw、ダイアン・デイヴィッドソンがJanusに残した3枚はどれも素晴らしく、その後CD化されていないのは不思議でならない。aはソフトロック的なタイトル曲が都会的。出会いの1枚(フラッシュのエサ箱にずーーーっとあった)がbで、ヘレン・レディー、タニア・タッカーに先駆けて"Delta Dawn"をカヴァー。ナッシュヴィルの腕利きたちをバックにしたカントリー・ロックの名曲。cではジャクソン・ブラウン曲をカヴァー。
=====================================
a■Silent Songs Through The Land
b■UFO
U.F.O.(紙ジャケット仕様)
近年紙ジャケで出たaは、デイヴィッド・ボウイも取り上げた"It Ain't Easy"(有名なのはスリー・ドッグ・ナイト)のオリジナルを収録。ロン・デイヴィーズ(ロン・デイヴィスと書かれることが多いが、Daviesだもの、デイヴィーズでしょう)は、ルイジアナ出身のsswで、あっという間に終わってしまうaは枯れた味わいの傑作。飛ばした帽子をUFOに見立てたジャケットのbは、日本では80年のアルファのロック名盤シリーズで紹介され、知られるようになった。03年に死去。
==================================
a■Jesse Ed Davis ('71)
b■Ululu ('72)
ウルル
c■Keep Me Comin' ('73)
日本におけるルーツロック再評価の引き金となったのがワーナーによる「名盤探検隊」シリーズで、同シリーズでも破格の売り上げを記録したのが、エリック・カズの1枚目と、ジェシ・デイヴィスのbだった。濃厚かつ強烈なスワンプロックでルーズなスライドgには思わず引き込まれる。それに先立つaは、LP時代もしぶとくカタログに残り続けたという1枚(「ジェシ・デイヴィスの世界」と言う邦題だった)で、ジョージ・ハリスン主催のバングラデッシュ・コンサートにおける、クラプトンのスペアとして名前を売り(当時にクラプトンのドラッグ問題で)、ジャクソン・ブラウンジョン・レノン、ロッド・スチュワートなど大物のLPに参加するきっかけとなったもの。cはAtcoからEpicに移ってのもの。88年にドラッグによるオーヴァードースで死亡(死亡記事が朝日新聞に載ったこともびっくりだった)