dance#3


116■Dance With The Devil / Cozy Powell
70年代後半から80年代にかけて、日本でのコージー・パウエルの人気は一種異常なものがありました。レインボー、ホワイトスネイクといったパープル・ファミリーのレコードは日本ではポリドールが配給していたため、その頃のポリドールの広告はやけに金がかかっていたような記憶が…
パウエルの名前が知られるようになったのは、第2期ジェフ・ベック・グループに参加したあたりからです。マックス・ミドルトン以下メンバーが解散後ハミングバードに流れる中、ファンキー路線とは縁を切りハードロックのベドラムを結成、その後レインボー、マイケル・シェンカー・グループ、ホワイトスネイクブラック・サバスなどを渡り歩き、80年代のヘヴィ・メタル・サークルらしいメンバーの出し入れに身をもって参加しています*1。本国での人気は、NWOHMのブームが来る頃までは、厳しいものだったようですが、日本とドイツでは根強い人気を誇っていました。そういう渡り鳥ドラマーとなった頃には、70'sにノヴェルティ・ヒットを出したなんてことを語る人は誰もおらず、ライナーノーツで触れる人もおりませんでした。
ベドラムがまだ活動中の73年にChrysalisからパウエル名義でリリースされたシングル、"Dance With The Devil"は#3(UK)まで上がるヒットとなりました。いったいこのインストのどこにそんな魅力があったのかわかりませんが、イギリスはマーケットが小さいため得てしてこう言うヒット曲が生まれることがあります。
ベドラムが74年に解散後、voのフランク・エイエロとパウエルは、コージー・パウエルズ・ハマーを結成。ベック・グループのクライヴ・チャーマン(b)、ドン・エイリー(kb)、バーニー・マースデン(g)を加えた5人がメンバーでした。ハマーとしてアルバムを残せませんでしたが、この時期にもパウエルは、"Man In Black"(#18)、"Na Na Na"(#10)といったシングルをヒットさせています。

後者はエイエロのvoをフィーチャーしたグラムっぽいナンバーで、プロデュースがミッキー・モストだというのもなんとなくわかります。この2枚はRAKからのリリースとなりました。

*1:余談ですが、80'sにはそういう音楽への興味はいっさい失っていました