木之内みどり

生まれてはじめて間近で見た芸能人は、木之内みどりでした。近所にあったレコード屋に営業でやってきたのです。75年頃の話。ちょうど"学生通り"というシングルのキャンペーンでした。その曲は財津和夫が書いた、ちょっと甘えた感じのメロディーでした。歌はあまりうまくなかったけど、当時も今も、歌唱力のある人よりも多少危なっかしい方が親近感がわくのです。
六文銭サディスティック・ミカ・バンド後藤次利と電撃的に結婚して引退してしまうまで、何枚かシングルがありましたが、"横浜いれぶん"は結構一般的に知られているかもしれません。今聞くと派手派手なgのarrですが。シングルでは”グッド・フィーリング”と言うのが好きでした。

後に高田みづえがカヴァーした、"硝子坂"はシングルではないですが、印象的な曲。バックは村上律のラスト・ショーで、あの時代らしいカントリー・ロックな演奏が素晴らしいです。あの頃はあちこちでまだペダル・スティール・ギターの音が使われてました。木之内みどりは、その後竹中直人夫人となり、しばらくして(下北の)本多劇場のロビーで見かけたことがありました。