名前デイヴィーJ72イーグルス
【そんな名前だったっけ?の木曜日(新)】デイヴィー・ジョーンズ
変名シリーズです。いろんなパターンがありますが、まずは若い頃は本名に近い名前でやってて、ブレイクしたときは芸名だったというパターン。
デイヴィー・ジョーンズさん(モンキーズの人じゃないです)のおそらく最初期らへんの音源は65年のマニッシュ・ボーイズでしょうか。Parlophoneから出たシングル、このあとデイヴィー・ジョーンズ&ザ・ローワー・サードという名義でも同じようなタイプのモッズ的なR&Bのシングルを出してます。このあとPyeと契約してデイヴィッド・ボウイーという芸名になり、RCAに移籍してグラムロックのアイコンとなって…(以下略)
https://www.youtube.com/watch?v=GsuZycK3zNc
【米国ロック72年の70曲】1・Most Of Us Are Sad / Eagles(Asylum)
では72年の米ロックはどうだったのかというと、sswの勢いがヒットチャートにも反映、MORに近いものからルーツ系の人まで様々な自作自演の人たちが登場する一方、南部や西海岸の音楽が注目されたのもこの頃。そこらへんが商業的に取り込まれてくるのにまだ時間がかかるので、イメージ戦略よりもこの時点では音楽で勝負、というところでしょうか。デイヴィッド・ゲフェンというやり手が、Asylumというレーベルを作ってAtlantic配給でスタートさせたのもこの年でした。今ではその音楽活動にビジネスの要素以外見出すことは難しい(クリスマス向けに告知されたばかりの愛情のかけらもない高価なボックスセットを見れば一目瞭然でしょう)イーグルスのデビュー作もAsylumの最初のリリースの中の1枚でした。わざわざロンドンまで出かけグリン・ジョンズのprodで、残響感の強い音作りをしたのも新鮮で、すぐに皆真似る様になったものです。LAのバンドというイメージですが各地(テキサス、ミシガン、ネブラスカ、フロリダ)からLAで一旗揚げようと集まった面々でした。ヒット曲ではないですがグリン・ジョンズの仕事がよく出た霧の中のサウンド"Most Of Us Are Sad"は、ランディ・マイズナーが歌います。
https://www.youtube.com/watch?v=z1fka_Ow0M4
[名曲リレー]【名曲リレー682】don't#2
■Don't Send Flowers / Sheena Easton('80)
シーナ・イーストンのファーストは80's初めの英国ショービズ的なよく作られたポップスでとてもよく聞きました。元キャラヴァンのデレク・オースティン、パイロットのビル・ライオール、ヘッドストーンにいたペーター・ヴァン・フッケなど英ロックの人たちが食いつなぐためにスタジオ仕事として参加。1曲目に入ったのが"花は贈らないで"でした。珍しい来日公演のライヴがつべにありました。なんとこの曲セイラーのフィル・ピケットが書いたものでした。今知りました。
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