a:荒井由実(あらい・ゆみ)

ssw。1954年東京出身。
多摩美大在学中の72年にsswとして”返事はいらない”で、デビュー。
76年にキャラメル・ママ〜ティン・パン・アレイの松任谷正隆と結婚、松任谷姓を、名乗るまでの4年間で、オリジナルアルバム4枚をリリース。


その後松任谷由実として、日本のポップス界をリードするが、荒井時代の繊細な感じは失われてしまった。
ポップ・ロック音楽が商業主義に完全に取り込まれた、70's後半以降、松任谷由実が掲げる、「消費する事の楽しさ」は、荒井時代には決してなかった。

Yumi Arai 1972-1976


discography


1 返事はいらない/海と空の輝きに向けて('72) 7”ヴァージョン(AB)
prod=村井邦彦。(A)では鈴木茂(g)参加。

2 きっと言える/ひこうき雲('73) 

3 やさしさにつつまれたなら/魔法の鏡('74) 7”ヴァージョン(A)
pianoの弾き語りによるヴァージョン(A)。
4 12月の雨/瞳を閉じて('74)
5 ルージュの伝言/何もきかないで('75)
アメリカン・ポップス調の(A)が、新たなスタイルへの挑戦を感じさせる。
(B)では鈴木茂のエイモス・ギャレットへの傾倒振りを物語る。
6 あの日に帰りたい/少しだけ片想い”('75)
(A)はTBSドラマ「家族の秘密」主題歌で、初の#1(オリコン)となったもの。山本潤子(Hi Fi Set)のスキャットのイントロがまぶしい。(B)も隠れた名曲。”シンデレラ・リバティー”という言葉が出てくるのは、同名映画の影響か?
7 翳りゆく部屋/ベルベッド・イースター”('76)
(A)は再度プロコル・ハルムに捧げたオマージュ。(B)は『ひこうき雲』から


1 ひこうき雲('73)
デビュー作にして完成された世界観。郊外の出身ながら山の手在住の発想は、もって生まれた才能と、立教女学院時代に培われた(?)人脈と放蕩生活(?)によるものか。荒井の持つブリティッシュなセンスとキャラメル・ママ鈴木茂細野晴臣林立夫松任谷正隆)の持つアメリカンなセンスが合体した稀有な1枚。
タイトル曲は、プロコル・ハルムへのオマージュ。個人的ベストトラックは、日本で生まれた最高のカントリーロックの1つである、”紙ヒコーキ”と”そのまま”。
2 Misslim('74)
前作のムードにつながるもの。
レココレ誌のユーミン特集('96.10)で渡辺亨さん(ローラニーロの解説で有名)が
「女の子なら10代のある時期に必ず耳にしてるだろうという思い込みが、僕にはある」と書かれてるが、同感(おっさんくさい思い込みやけど)。
氏はあと「日本における「つづれおり」的な1枚」とも。
ベストトラックは、細野のbassが弾みまくる”生まれた街で”。♪街角に立ち止まり、風を見送った時、季節がわかったよ・・・ のくだりに激しく惹かれる。Couchもカヴァー。”やさしさにつつまれたなら”は、駒沢裕城(はちみつぱい)のsteelの入った、カントリー・ロック・アレンジ(後年宮崎アニメの主題歌に)。
3 Cobalt Hour('75)
セールスが飛躍的に伸びた3枚目。ティン・パンの演奏は、同時代のファンキーサウンドに呼応。初期のカントリー・ロック色は薄い。現在まで続く、消費文化賛美的なモチーフが少しずつ顔を出す。タイトル曲のイメージ戦略は見事。
ベストトラックは、鈴木のgが切ない”卒業写真”と”雨のステーション”。
4 Yuming Brand(comp)('76)
5 14番目の月('76)
既に初期の繊細さは失われ、派手なイメージの楽曲ばかりが強調されている。
リゾート路線も”避暑地の出来事”で登場。ティン・パンがバックから離れた事もあるが、演奏は匿名的になった(スタジオミュージシャンの集団だった彼らこそ、一見匿名的のようであって、実は超個性的だった)。ベストトラックは”天気雨”、”さざ波”。


リアルタイムは『Cobalt Hour』だったが、当時のニュー・ミュージックと呼ばれる連中とは、明らかに違うセンスがあった。75年にTBS系でOAされた「セブン・スター・ショー」(吉田拓郎編もあった)のDVD化を切に望みたい。




Yumi Arai The Concert with old Friends
96年に、数日限定で復活した「荒井由実