亜米利加一周編1

57*California Blues / Dickie Betts & Great Southern ('77)
Dickey Betts & Great Southern
 今日からしばらくは米州名シリーズで行きます(作者はアメリカ行ったことありませんが(^^;)

 まずは本土では一番なじみがある、西海岸の中心となるカリフォルニア。ロスアンゼルス、サンフランシスコという2大音楽産業都市がある。特にLAは音楽ビジネス都市としては東のNYと並ぶ。 西部時代開拓者が最後の楽園を求めて、この地にたどり着いた事は、イーグルスの”ラスト・リゾート”に詳しい。南加州ではめったに雨は降らない、と歌ったアルバートハモンドの歌が、「青い空」的なイメージを少なくとも日本では増強させている。州都は、実はサクラメント

 オールマン・ブラザーズ・バンドが76年に活動を休止すると、グレッグ・オールマンは、ソロに、チャック・リーヴェルら3人はフュージョン寄りのシー・レヴェルを結成。
グレッグと確執があったディッキー・ベッツは、新たにオールマン・タイプの、グレート・サザーン(カーター大統領誕生に沸く盛り上がる南部を象徴するグループ名)を結成。アリスタから出たデビュー盤に収められていたのがこの曲。 やや甘いトーンのスライドが豪快なナンバーが並ぶが、最初のソロ「ハイウェイ・コール」で見せたほどのカントリーっぽさはない。
 メルティング・ポットというバンドから参加したダン・トーラー(g)は、79年の再結成オールマンズのアルバムに参加。その「エンライトゥンド・ローグ」はベッツ色がかなり濃い1枚で、好き嫌いが分かれる。 
 さて渋谷陽一の「ヤングジョッキー」の話はよく書いてるけど、グレート・サザーンのこの曲も放送で知った。といっても渋谷氏の好みではなく、NYに取材で休みだった時期、いまいずみひろし氏がピンチヒッターを務めた日にOA。この日には、ジョン・マイルズとかジェイムズ・ギャングとじゃ普段かからなかったものが、かかった記憶。どーでもいい事はいつまでも覚えてるもんだ。

58*Arizona / Mark Lindsay ('69) 
カリフォルニアから南東へ、グランドキャニオンで有名なアリゾナ州へ。西部劇でおなじみのトゥームストーンや、インディアン(こういう言い方はしないけど今は)居住区があるところ。イメージとしてはイーグルスのファーストのジャケットかなあ。 州都はグレン・キャンベルの歌にもあるフェニックス。リンダ・ロンシュタットが生まれたトゥーソンもメキシコ国境に近い街だ。アリゾナから来たぞな〜って誰のギャグだっけ?

 ポール・リヴィア&レイダースというバンドがいた。60'sに多くのヒットを飛ばしたオレゴン出身の5人組で、アメリカ独立戦争のユニフォームがコスチュームだった。主に十代相手のバンドだったが、アンチ・ドラッグのメジャー初ヒット”キックス”('66)で知られる。ここのリードシンガーがマーク・リンゼイで、グループと並行して69年からソロ活動を開始。この曲(邦題は”花咲くアリゾナ”)は、#10と最大のヒットとなったもの。 レイダースよりはもう少し上の客層を狙った感じで、もったいぶったgが当時のトレンド、ニューロック(死語)的。 70'sのレイダースは ”インディアン・レザヴェーション”の#1('71)を出すが、下世話なメロディの歌謡ロックでこれは全くいただけない。


59*New Mexico /Rick Danko ('77) 
Rick Danko
アリゾナからさらに東に向かうとニューメキシコ州。ここもインディアン居住区が点在するところ。 州のほぼ中央にはリオ・グランデ(そういうゴキゲンなカントリーロックバンドもあるが)という河が流れる。 州都はアルバカーキ(スペイン語だね)だけど、日本で一番有名なのは避暑地で、宮沢りえの写真集でおなじみのサンタ・フェ(あの「門」は、としまえんに来たんだっけ?)。

 ザ・バンドのメンバーにあって「若さ」を強調してたリック・ダンコは、そのしゃくりあげるような独特な歌い方が 印象な人。ザ・バンドのレパートリーの中で、好きな曲は、だいたいダンコが歌う曲だった。けれど晩年の衰弱ぶりは ファンにはつらかった。83年の再結成時はまだしも、90's以降は すっかり貫禄が付いた風体となり、bも弾かず弾き語りのステージが多くなり、自身が歌わなかったザ・バンドのレパートリーも多くとりあげた 「営業」的ムードが漂った。 何度も来日してるが最後には大麻所持で入国前に逮捕というおまけ付きで、このあと急逝してしまうのでなんとも後味悪かった。

 解散直後の77年にアリスタから出た「リック・ダンコ」には そんな晩年の悲壮さは微塵も感じられない。弟テリーダンコのベアフットをベースとしたバンドにロン・ウッド、ダグ・ザーム、クラプトンらが参加。もちろんザ・バンドの残り4人も参加。
悪く言えばワンパターンだが、ダンコ調ともいえるミディアムテンポのナンバーは、どれも味わい深い。 この“ニュー・メキシコ”には、ガース・ハドスンやクラプトンが参加したおなじみのスタイル。この手のものはA面ラストの”シップ・ザ・ワイン”が素晴らしいけど、ティム・ドラモンドが書いた ”アイ・ウオント・レイ・ダウン・ビサイド・ユー“(ダイアン・デイヴィッドソンがカヴァー)を改題して自作としてるのは、ちょっとまずいんちゃう?

 好事家の為に、78年の来日にも同行したdsのデニー・シーウェルは、ウイングスの初代メンバー。またpを弾くケン・ローバーも渋いソロが2枚ある。
結局スタジオ録音のソロはこれと遺作となった「タイムズ・ライク・ジーズ」('00)しかない。その遺作は晩年の不調を吹き飛ばすような出来だったんで惜しい。

60*Texas Lullabye /The DoobieBrothers
Stampede
更に東へ向かうと広大なテキサス州へ。エミルー・ハリスの“アマリロ”、ダグ・ザーム(そしてカヴァーした日本のオレンジ・カウンティ・ブラザーズ)の“サン・アントン”、マーティ・ロビンスの(デッドもやってる)“エル・パソ”、ポコの“ダラス”、グレン・キャンベルの“ガルヴェストン”とこの州の街を歌った歌は多い。州都はオースティン(JJウォーカーでもおなじみの街)だけど有名なのは、ロケット関係で有名なヒューストンとケネディ暗殺のダラスか。そういえばテキサスという名のステーキ屋も多い(^^)

ドゥービーは、初期のファンと後期のファンが反目しあう事が今でも多いそう。確かに音楽性は違うし同じバンドとは信じがたいが、僕個人としては中間点となる「テイキン・イット・トゥ・ザ・ストリート」あたりがいい。その一つ前の「スタンピード」は75年のリリースで、トム・ジョンストン時代では一番の好み。ジョンストン、パット・シモンズ、スティーリー・ダンから新たに加わったジェフ・バクスターの3人のgの個性の違いがおもしろいが、バクスターの本領はまだ発揮されてない。ソウルジャズ系というかエレキ・シタールやgシンセなんかを駆使した独特のスタイルが開花するのは、も少し先の「フォールトライン」にて。ここではまだスティール奏者的なイメージ。

 この“テキサスララバイ”は南部に暮らす人々の生活の喜び、悲しみを歌った、名曲で、随所に挿入されたドブロやスティールはバクスターによるもの。南部的なカントリーロックだが情景が浮かんできそうな感じ。
ジョンストンの充実はこのあたりまでで体調を崩し(ドラッグ?)、次の「テイキン〜」では1曲参加してるけどこれば別録りのようなそぐわなさを感じる。さらに次の「フォールトライン」ではフォトセッションのみ参加しましたといった具合で、すでにだいぶ昔からバンドからは離れていたんだろうけど、マネージメントサイドで「一員でいる事を強要された」のか?と勘ぐってしまう。

61*Home Sweet Oklahoma / Leon Russell ('72)
Carney
テキサスから北上するとオクラホマ州。日本で一番有名なのはフォークダンスオクラホマミキサーだけど、ここもネイティヴアメリカンゆかりの地らしい。フォスターの”おおスザンナ”の中でもバンジョーもって出かける先はオクラホマだった気がする(ジェームズ・テイラーがカヴァー)。州都はオクラホマシティ

 さてオクラホマ州タルサといえば、リオン・ラッセル。70'sはじめのスワンプ・ロックにかかわる鋭い目つきをした要人だけど、このタルサ人脈(ジェシエド・デイヴィス、カール・レイドル、JJ・ケイル、ジム・ゴードンら)がこの種のロックの裏方を多く排出してた事はとても面白い。もともとスワンプ・ロックは、サイケデリックの次のトレンドとして、LAのレコード会社(A&Mエレクトラ、アトランティックなど)が、仕掛けた作られたムーヴメントだったわけだけど、泥くさい音楽がLAという都会のスタジオで作られていたというのもなんとも皮肉な話。

 60'sにはスタジオミュージシャンとして活躍したラッセルは、69年のシェルター・レーベルを作りソロデビュー。ラッセルの人脈はすでに、デラニー&ボニーのフレンズに生かされていたが、ジョーコッカーの2枚目に加わったことから、コッカーのマッド・ドッグス&イングリッシュ・メン('70)へとつながってゆく。

タイトロープのヒット(#11)が生まれた72年の3枚目「カーニー」に収められたこの曲は、コッカーの”ハロー・リトル・フレンド”にも似たイントロで、懐かしき故郷が歌われるもの。それにしてもアクの強いピアノの節回しとダミ声は、強烈な個性だこと。

 タルサでも一つ思い出すのは、70'sのクラプトンバンドが、タルサ人脈でつながっていた事。デレク&ザドミノスから引き抜いたレイドルは、前述の通りラッセル人脈の人だが、彼のプッシュで加わったdsのジェイミー・オールデッカーとkbのディック・シムズもこの地出身だが、イヴォンヌ・エリマンに代わってコーラスを務めた美麗のマーシー・レヴィ(後のマーシアデトロイト)もまたタルサ育ちだったとか。あっぱれ。

61*When Electricity Came To Arkansas / Black Oak Arkansas('70) 
Hot & Nasty-Best of Black Oak
オクラホマから東へ向かうとアーカンソー州。「Arkansas」と書いて、「アーカンサス」とは読みません(昔読んでました(^^))。
クリントン米大統領は この州の出身らしい。州都はリトルロック

 バンド名に州名が入った、ブラック・オーク・アーカンソーは、主に十代に人気があったブギバンドで、ジェームズ・マングラムの粗野ないやらしい歌声に、少女たちは熱狂したらしい。確かにカエルをつぶしたような声。上半身をはだけたりして猥雑なアクションをくりかえすPTAの敵のようなバンド(笑)だが、不思議と好きなんだなあ。 曲調は意外とオーソドックスな南部タイプのブギでこれにメカニカルなgが絡むあたりは、なかなかカッコイイ(動いてる姿を見てないから?)。

 人を食ったようなタイトルのこの曲は71年のデビュー作「ブラック・オーク・アーカンソー」から。ノヴェルティタイプの曲だが演奏は確か。プロデューサーにはアイアンバタフライのリー・ドーマン(後にキャプテンビヨンド)とマイク・ピネラがクレジットされている。BOAの最大のヒットは73年の“ジムダンディ”で 僕はこれでこのバンドを知ったけど、キャッチーなメロディとリフがカッコイイ。
手っ取り早く聞くには ライノから出てるベストCDがいい。南部賛歌の“ディキシー”の変てこなヴァージョンやら、バーズやビートルズのカヴァーも入って盛りだくさん。 アトコからMCA、キャプリコーンへ移籍する70's後半には 南部のありきたりなハードロックになってしまって残念。

(’03.2.28〜3.4)