亜米利加一周編2

62*Louisiana Flood / Paul Butterfield's Better Days('74)
It All Comes Back
アーカンソーから南下するとルイジアナ州。有名なニュー・オーリーンズはこの州の南東にある。ディキシーラン・ドジャズの発祥地と、ものの本にはあるが、僕的にはN・Oといえばセカンドライン・ビートでピアノがコロコロ廻るR&B。食関係もガンボに代表される独特のごった煮的な文化がある。スワンプといわれる湿地帯があるあたりは「クロスロード」と呼ばれてるらしい(ロバート・ジョンソンのブルーズを思い出す)。州都はバトン・ルージュ。ちなみに日本で一番知られてるルイジアナは、キャロル(あれはルイジアンナか)か ”ルイジアナママ”(ジーンピットニーが歌ったオリジナルは本国では知られておらず、全く日本だけのヒット)。

 バターフィールド・ブルーズ・バンド解散後、ポール・バターフィールドが結成したベター・デイズは、ブルーズだけにこだわらず、フォーク、ゴスペル、R&Bの味付けがまぶされた芳醇な音楽。結局2枚しか残せなかったが(解散後出た素晴らしいライヴ盤がある)、どちらも悪くない。ボビー・チャールズ(ベアズヴィルにこれまた素晴らしいソロがあるssw)、マリア・マルダーを含めたファミリー的所帯でもある。ホーナー社の古びたハーモニカをジャケットにした1枚目に続くセカンド「イット・オール・カムズ・バック」は、当時日本でも出ず、ライノが80'sに再発するまで、かなりのレア・アイテムだった。僕が初めて聞いたのは、パイド・パイパーで買ったカナダ版カセットだった。

 この曲は、ロニー・バロンがドクター・ジョンと共作したもの。ともにニュー・オーリーンズを代表する白人R&Bプレイヤーだが、ここでもセカンドライン・ビートがきいた典型的な、この地の音になっている。コンガはゲストの(ミス)ボビー・ホール。
他の曲で目立つのが、チャールズが共作者としていくつかの曲にクレジットされてるほか、歌ってるものもある。チャールズとリックダンコの共作になる、有名な”スモール・タウン・トーク”もカヴァー(歌はジェフ・マルダー)。

63*Mississippi Water / Andwella ('71)

ルイジアナからさらに東へ向かうとミシシッピ州。もちろんミシシッピ河(これが州境となってる)で有名で、北部はスワンプ地帯。ブルーズのレーベルで知られる、ヤズー・シティ(ロジャーティリソンに“ヤズー・シティ・ジェイル”という強力な曲がある)の南にあるジャクソンが州都。古きよき南部として思い浮かぶのが、ミシシッピ河と蒸気船だったりするのだけど、そんなものは勝手なイメージだろうなあ。メキシコ湾の面した小さな町、ビロクシを歌ったジェシウインチェスターの歌も忘れられない。先のハリケーンではかなりの被害を受けた地域で、貧富の差が激しいのが、復興を妨げていると言う報道もあった。

さて久々にブリティッシュ・ロック。アンドウエラは、北アイルランドで結成されて、当初はアンドウエラズ・ドリームと名乗り、69年にCBSからデビュー。この頃の音は断片的にしか知らないけどサイケなイメージ。71年にでた「ピープルズ・ピープル」は90'sに日本でCD化されたけど、これは傑作。キャット・スティーヴンスやアル・スチュワートのようなフォーク・ロックがバンドサウンドになったようなさわやかさで、メロディアスないい曲を、リーダーのデイヴ・ルイスは書く。

この曲もその3枚目から。アメリカ的な音だけど、中期のフリートウッドマックがそうだったように紛れもないブリティッシュ・ロック。英リフレクション盤と米ダンヒル盤はジャケ違いだけど現行CD(まだ生きてるか?)は米盤仕様(デゾ・ホフマンの撮影)。

ルイスはその後ソロとしても活動。貴重な音源を船長に聞かせてもらったけど、一般に言われるブリティシュAORというのとは、少し違う感じ。クリスレインボウのプロデュース作品もあり。

64*Alabama / Mick Taylor('79)
Mick Taylor
更に東へ向かうとアラバマ州。州都はモンゴメリーアラバマという言葉が好きな男の歌がライル・ラヴェットのCDにあったなあ。 サザン・ソウルのスタジオとして有名な、マッスル・ショールズには、スタジオ・ミュージシャン軍団がいて、70'sにはロックバンドもこの地で録音。トラフィックは、デヴィッド・フッドとロジャー・ホーキンスをメンバーに引き抜き、ツアーまでやっている。

 と書いといて、マッスルショールズとは全く関係ない、ミック・テイラーの話。ジョン・メイオールのブルーズブレイカーズからストーンズに加わったスライドの名手。今もって、テイラー在籍時のストーンズの人気は高い。脱退後ジャック・ブルースジャズロックみたいな事をやったり、地味なセッション(トム・ニューマンやゴングといったヴァージン系のアーティストと付き合いあるのが不思議)を繰り返していたが、79年にCBSからやっと初ソロを完成させる。歌ものもあってなかなか良い出来だが、一部で注目されたにとどまったのが残念。あまりうまくないヴォーカルもまあ許せる範囲(“レザージャケット”はストーンズの「メインストリート」の頃のブートでインストヴァージョンとして存在が確認されている)。

 この曲は、マイク・ドリスコールのdsをバックにした渋いブルーズで、クリアなトーンのスライドも聞かせる。作者はストーン・ザ・クロウズのコリンアレン。
英国のジャズ・ロック・シーンで現在も活動しているクマ原田(b)が加わったいくつかの曲では、一時期のジェフ・ベックにも通じるフュージョン風(それでも決して乾いた感じでなく湿ってるのがイギリス人らしい)の浮遊感を漂わせる。80’sにミック・テイラー・バンドを率いて来日した際、マックス・ミドルトン(kb)のファンキーなプレイが最高だったと、ピーター・バラカン氏が絶賛していて、その次に来日したときに期待して行った(場所は原宿のルイードだった)けど、若手メンバーに混じって、居心地悪そうな感じでかわいそうだった。場所柄、若い客はストーンズを要求するし。その音楽をテイラー自身が楽しんでやってるようには感じなかったのが悲しかったのだ。