make#2

ザ・スマイル・オブ・ライフ(紙ジャケット仕様)

ザ・スマイル・オブ・ライフ(紙ジャケット仕様)

52■Make You Love Me / Ronnie Barron
ベター・デイズのピアノ弾き、ロニー・バロンはもともとは、ドクター・ジョン(バンド名)でpianoとvoを担当していた(現在のドクター・ジョン(個人名)ことマック・レベナックはその当時organとgを担当していたというのもおもしろいです)事もあって、当初はバロンこそ、ドクター・ジョンというステージ・ネームを名乗るべきという話もあったそうですが、結局はレベナックがドクター・ジョンを名乗ることになったという経緯がありました。バロンの名前は熱心なニュー・オーリーンズ音楽のファンなら、すでに知れ渡っていましたが、ロックファンの間で注目を浴びたのは、ポール・バターフィールドのベター・デイズに加わった時期でしょう。シカゴスタイルのブルーズから始まったバターフィールドのブルーズ探求の旅は、ホーンセクションを導入したり、サイケデリックな方向に進みながら、いつしかブルーズというよりはブルーズを含むアメリカン・ルーツ・ミュージック探求の旅になっており、その第2章にあたるのが、ベター・デイズでした。バロンの参加によりはベター・デイズの音楽によりコクが出てきたのは言うまでもありません。
さてベター・デイズ解散後、再びドクター・ジョンのバンドやジョン・メイオール・バンドに参加していたバロンが、夕焼け楽団久保田麻琴との交流から完成したのが2枚目にあたる*177年のソロ「Smile Of Life」(日本コロムビア)です。ニュー・オーリーンズでミーターズをバックにして録音された4曲に加え、7曲が東京録音。プロデュースは一連のエキゾティック路線が後に高い評価となったティン・パン・アレイの細野晴臣で、バックには久保田(g)、細野(b)、林立夫(ds)、井上ケン一(g)、恩蔵隆(b)、上原ユカリ(ds)、斉藤ノブ(perc)、伊藤銀次(g)、鈴木茂(g)が参加。要は夕焼け楽団(サンセッツ)とバイ・バイ・セッション・バンドの混合セッションになっています。オーセンティックなニュー・オーリンズ音楽が極東の異国でほぼ完全に演奏出来た事に、バロンは当時驚愕したといいます。全編軽やかなpianoが聞けるニュー・オーリーンズ・スタイルかと思いきや、ストリングスをバックに歌いあげるスウィートでドリーミーなバラード("Ruunig South Running Notrth"、"My Jelousy")があったり、ディスコ・ファンク的な"She Does It Good"など(当時の)今日的なナンバーがあったりとヴァラエティーに富んでいます。その中でロックンロールとニュー・オーリーンズR&Bが合体したような"Make You Love Me"の楽しさは忘れられません。コーラスは久保田夫人で当時はまだデビュー前("ミステリー・ナイル"はもう出てたかな?)のサンディー*2でしょう。


これとパーカッシヴな"Doing Business With The Devil"はやはり特別です。ロニー・バロン本人はジャズのレコードを作りたかったが、細野や久保田は「ニューオリンズ物をやるべきだ」と説得。だから東京サイドの方がよりニューオリンズ的な面が強調されて、ファンキーになったとのことです。

細野&久保田のハリー&マックが99年にリリースしたもの。バロンに捧げられています。

70's後半の細野のソロのエキゾティック路線は当時も今も苦手です。

トロピカルダンディー(紙ジャケット仕様)

トロピカルダンディー(紙ジャケット仕様)

泰安洋行(紙ジャケット仕様)

泰安洋行(紙ジャケット仕様)

*1:1枚目はDeccaから出た「Reverend Ether」('71)

レヴェレンド・イーザー

レヴェレンド・イーザー

*2:そもそもサンディー・アイ名義でポプコンでグランプリをとったりした人でした