bring#3

Songs to Learn & Sing

Songs to Learn & Sing

65■Bring On The Dancing Horses / Echo & The Bunnymen
80'sの頭にはネオ・サイケというのが流行りましたけど、あの当時オリジナルのサイケデリックなんてまともに評価されてませんでしたし、そもそもLPも入手困難でしたから、ネオ・サイケと呼ばれるものを解説していた音楽評論家のセンセイたちも、出てくる名前はドアーズ程度でした。ネオ・サイケというよりはファズgを現代的に使ったダークな(ギター)ロックといった風情で、まずアメリカのインディーを中心とした動き(Paisely Undergroundなんて言われてました)があって(ドリーム・シンディケート、ヴァイオレント・ファムス、グリーン・オン・レッドといったSlashレーベルのバンドは日本ではRough Tradeを出していた徳間JAPANからのリリースだったので余計トレンドとして注目されました)、それと並行してイギリスでもU2、キュア、アイシクル・ワークス、コクトー・ツゥインズ、ディス・モータル・コイルなどが登場してきました。あるものはもっとディープなオルタナティヴに進み、あるものはそんな小さな殻を破りビッグな存在になって行きました。やはり注目はリヴァプールの動きで、マイティ・ワー、ティアドロップ・イクスプレーズ、エコー&ザ・バニーメンの3バンドは熱心なファンの追っかけがありましたが、リアルタイムの80's初めにはこうした動きは日本には伝わってきません。
エコー社のドラム・マシーンが初代dsだったことからつけられたエコー&ザ・バニーメンは、イアン・マッカロック(vo)の少年っぽいルックスに少女たちが熱狂しましたが、初期の3枚はどれも冬の凍てついた空にこだまする〜みたいな(こう言う紹介はU2、ビッグ・カントリーなど当時のギター・バンドに多かったです)出来で、音よりもジャケットが印象的でした。
HEAVEN UP HERE

HEAVEN UP HERE

オーシャン・レイン

オーシャン・レイン

僕がバニーメンを好きになったのは4枚目の「Ocean Rain」('84)からで、それまでの激しさがやや薄らいで、エスニックな味わいよりもヨーロッパ的な耽美さも加わったところにハマりました。当日券目当てで渋公へ2度目の来日公演を見に行ったのもこの頃です。黒い服着て、踊ってたそんな時代。

ただバニーメンのピークはこの頃で、次のベスト盤で一区切りをつけるようにバンドは休眠に入ります。そのベスト「Songs To Learn And Sing」に新曲として収められていたのが"Bring On The Dancing Horses"です。

全英#21まであがったこの曲はデジタル・ビートが、それまでのバニーメンとは明らかに手触りが違って初めはなじめませんでしたが、いつしかそれもしっくりくるようになったのですから勝手なものです。87年に3年ぶりの新作「Echo & The Bunnymen」が出た頃には熱も冷めてしまっていました。それは事故死するdsのピート・デ・フレイムスとソロになるマッカロックの最後の作品となってしまいました。