#2〜1966:buffalo era(i)

Buffalo Springfield

Buffalo Springfield

65年にオウ・ゴー・ゴー・シンガーズ(AGGS)が解散すると、新たに組んだザ・カンパニー(AGGSのメンバー中心で、リッチー・フューレイもいた)で、カナダへツアー。この時ウィニペグのクラブで、スクワイヤーズ時代のニール・ヤングと知り合った話(ちなみにLAにて黒い霊柩車に乗ったヤングと再会した話も)は有名です。ニュー・オーリンズ経由でカリフォルニアに向かったスティルスは、ジェファーソン・エアプレインとグレート・ソサエティのライヴを見てえらく感銘を受け、曲作りと新たなバンド・メンバー探しを始めます。スティルスがはじめて書いたプロフェッショナルな曲は"Sit Down I Think I Love You"(prodはヴァン・ダイク・パークス)で、これはこの年モジョ・メンによってかヴァーされています。そして自身の音楽出版会社Gold Hillを作りました。またモンキーズのメンバー・オーディションを受け、ルックスの面で難ありと落とされたのもこの時期(合格したピーター・トークはヴィレッジ時代の仲間で、スティルスバッファロー・フィッシュというユニットを組んでいた事もあります)。
66年に入るとLAへやってきたリッチー・フューレイと新バンド結成のアイディアを練り、再会したニール・ヤング、ブルース・パーマー、そしてデューイ・マーティンとようやくバンドが誕生。スティームローラー車のプレートからバッファロー・スプリングフィールド命名され、Atcoと契約、7月にデビューシングル"Nowadays Clancy Can't Even Sing"がリリース。

但しパーマーのドラッグ問題、マーティンとスティルスの確執、そして何よりもセールスの不振(セカンドシングル"Burned"も全くの不発)もあって、バンドは迷走(国外退去を命じられたパーマーの代役には、後にBS&Tのジム・フィールダーら数人がステージ、TV出演などに影武者として参加することになる)。12月に出たデビュー作「Buffalo Springfield」は、まだ歌うことをためらっていたヤングが自身の曲をフューレイに歌わせるなど、スティルス=フューレイ・ラインが目立つ1枚。これはこれで愛着があるのですが、"Hot Dusty Road"のふわふわした浮遊感、ざらついた"Pay The Price"などスティルスの曲にはひらめきがあります。

LPには未収録だった、新曲の、LAのサンセット・ストリップスの暴動を描いたトピカル・ソング、"For What Its Worth"が#7と最大のヒットを記録すると、Atcoはこの曲と"Baby Don't Scold Me"を差し替えて再発。長らくこの曲は幻の曲だった。