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【紫一家の50曲】・Fighting Man / Gillan('78)
イアン・ギラン・バンド解散後、日本の東芝EMI内のイースト・ワールドと直接契約したイアン・ギランはソロの形で「Gillan」を78年にリリースします(日本のみのリリースだったので「The Japanese Album」として変則的にCD化されています)。IGBのコリン・タウンズ(kb)以外は、ジーブラ(Zzebra)のスティーヴ・バード(g)とジョン・マッコイ(b)、ピート・バーナクル(ds)がバックで、さっそくdsがリアム・ノッキーに交代しています。このメンツで来日しており、朝比奈マリア司会のフジテレビの音楽番組にも出演しています。まだNWOHM前夜でハードロックシーンに戻ってきたと言っても本国でのウケは芳しくなかったようです。イギリスでの再ブレイクは、バーニー・トーメ(g)、ミックアンダーウッド(ds)とメンバーを強化し、Virginと契約後になります。
https://www.youtube.com/watch?v=rADpPpE2cv4
【紫一家の50曲】23・Organ / Jon Lord with London Symphony Orchestra('71)
ビートルズのAppleに始まり、70's初期にはビッグネームが自身のレーベルを持つことがステイタスとなった時期がありました。パープルの場合Purpleレーベルの第1回リリースの4枚の最初がこのジョン・ロードの初ソロ「Gemini Suite」('71)なのでした。元々はBBCがロードに依頼したところから話は始まってる(69年のロイヤル・フィルみたいなやつまた頼むわ)のですが、最初はパープルとしての依頼だったようで、これはリッチーが拒否したんでレコーディングは無理。けど70年9月17日ロイヤル・フェスティヴァル・ホールで、オーケストラとの共演ライヴが行われ、この時の様子はCD化もされてます。でこのスコアをロードがソロで再現したのがこの初ソロ。
僕には正直さっぱりピンときませんでした。ジャケットのイラストは不気味です。ただしB面最後のオルガン・パートは結構好き。18分ごろからです。
https://www.youtube.com/watch?v=VYX0VGr0q_4
【紫一家の50曲】・Cold Hearted / Gary Moore('84)
ホワイトスネイクを離れたイアン・ペイスとニール・マレイのリズム隊は、G・フォース〜グレッグ・レイク・バンドのゲイリー・ムーアと合流し82年にムーアの「Corridors Of Power」(Virgin)に参加します。ブルーズをベースにしたムーアのハードロック美学が、おりからのヘヴィ・メタル・ブームに乗って日本でもブレイクした1枚。ここでは大ヴェテランのトミー・アイアがkbでしたが、コロシアムII時代の盟友ドン・エイリー(kb)を伴っての来日ライヴ「Rockin' Every Night」も大ヒットになりました。ローン・スター出身のジョン・スローマン(vo)も参加。動画はペイス=マレイ=エイリー=ムーアによる83年のライヴです。
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【紫一家の50曲】17・James Gang
【紫一家の50曲】19・Fandango
【紫一家の50曲】20・Kansas
【紫一家の50曲】23・Truth Hits Everybody / The Royal Philharmonic Orchestra & The Guests('83)
これも珍品。ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラがポリスをカヴァーした「Arrested」(Music Of The Police)と言う企画ものはてっきり日本製作かと思ったら、英RCA原盤でした。邦題は「クラシック・ポリス」。大半はオーケストレーションですが一部でバンドものもあり。この"Truth Hits Everybody"は、ゲイリー・ムーア(g)、イアン・ペイス(ds)、ニール・マレイ(b)、グラハム・ボネット(vo)と言うラインナップです。他にもロイ・ウッドが歌う"Message In A Bottle"、クリス・トンプソン(MMEB)が歌う"高校教師"など珍品ぞろい。件の曲は4分25秒から。
【紫一家の50曲】24・A Rhythmic Stroll / John G.Perry('76)
こういう反則なやつも入れます。ロジャー・グローヴァーが弾くアープ・シンセはほとんどわかりませんが、これはとてもいいアルバムなので。元キャラヴァンのbass、ジョン・G・ペリーのソロ「Sunset Wading」('76)から。prodはルパート・ハインでグローヴァー参加はこの流れでしょう。歌ものもありますが、基本はこうしたジャズロック。オサンナ〜ノヴァのgとsax、マイケル・ジャイルズ(ds)、キャラヴァンのジェフリー・リチャードソン(viola)、ハイン(kb)が参加しています。グローヴァーはこの1曲だけ参加。かつてキングのヨーロピアン・ロック・コレクション(イギリスだってヨーロッパだ!と開き直った)から日本盤が出てた事がありました。
【紫一家の50曲】25・Brief Encounter / Bernie Marsden('79)
UFO〜ワイルド・ターキー〜ベイブ・ルース〜パウエルズ・ハマー〜PAL〜ホワイトスネイクを渡り歩いたバーニー・マースデン初ソロ「And About Time Too」(Parlophone)は、ブルーズ、フュージョン、ポップと様々な要素がまじりあった1枚で、コージー・パウエル、ドン・エイリーのハマー組、ペイス、ロード、ニール・マレイのホワイトスネイク組以外にもサイモン・フィリップス、ジャック・ブルースが参加。これらのメンツの組み合わせの妙が楽しめます。"Brief Encounter"は、ブルージーなインストで、ロード、ペイスのパープル組にブルースとエイリー(syn)が参加しています。日本盤は東芝EMIからではなくパープルのマネージメントをやっていたジョン・コレッタが絡んだトリオのTRASHと言うレーベルからのリリースで、パープルの「Live And Rare」や「Live In London」などがトリオから出たのもこの辺の大人の事情でしょうか?
【紫一家の50曲】30・Summer Song / Joe Satriani('92)
93年の突然のリッチーの脱退のあとピンチヒッターとして起用されたのがジョー・サトリアーニでした。僕は全く知りませんでしたが、86年のデビュー以後、ハードロック・ギター・インストの分野で活動してた人。92年の「The Extremist」からの”Summer Song”は、この種のジャンルに疎い僕でも高揚感を感じるギターロックです。
でもってサトリアーニは、94年のツアーもこなし、メンバーに誘われたのですが、悩んだ挙句ソロ活動優先の為参加を固辞するのですね。
【紫一家の50曲】31・All Right Now / Sweet featuring Ritchie Blaclmore('75)
76年3月24日米サンタ・モニカのスウィートのコンサートで、リッチーはステージ上がり、スウィートと一緒にフリーの「オール・ライト・ナウ」を演奏しました。これは本来スウィートのサポートとして一緒にツアーするはずだったバック・ストリート・クロウラーのポール・コゾフの突然の死に対する追悼でした。こんな記事をMLか音楽専科で読んだ事がありましたが、まさかこのときの音源があるとはすごいなあ… 調べてみるもんだなあと思いました。 リッチー(レインボウの2枚目のレコーディングが一段落ついたのか?)とスウィートの共通項が思い浮かびません(^^)
【紫一家の50曲】33・Give Me Kindness / David Coverdale('78)
グレンの「燃焼」が出るまで一番売れなかったパープルのメンバーのアルバムだったらしいカヴァーデイルのセカンド「嵐の叫び」は、この邦題からして狙う方向が違います。前作の流れを組むオーソドックスなブルージーなロック・ヴォーカルものとして良く出来てると思うのですがねえ。時代が悪かった。トニー・ニューマン(ds〜ジェフ・ベック・グループ、メイ・ブリッツ、Tレックス)、アラン・スペナー(b〜グリースバンド、ココモ、ロキシー・ミュージック)、ティム・ヒンクレイ(kb〜ジョディ・グラインド、ヴィネガー・ジョー)ら多彩な人たちが参加。この”Give Me Kindness”ではロニー&ウエンディーのディオ夫妻がコーラスで参加した楽しいナンバー。
【紫一家の50曲】34・Na Na Na / Cozy Powell's Hammer('74)
ベドラム〜ジェフ・ベック・グループ〜レインボウ(以下略)という華々しいキャリアのコージー・パウエルです。ベック・グループが解散後ミッキー・モストのRAKからソロシングルをリリース。"Dance With Devil"、"Man In Black"、そして"Na Na Na"の3枚のシングルはどれも全英チャートの上位にランクされたのは74年というグリッター・ロック・ブームの余熱があったからでしょう。実際この時期のコージーのdsはグラム・ロックのビートに近いものがあります。ソロ名義ではありますが74〜75年にかけてコージー・パウエルズ・ハマーというバンドを組んでいまして、ドン・エイリー(kb)、バーニー・マースデン(g〜元ベイブ・ルース)、フランク・エイエロ(vo〜元ベドラム)、クライヴ・チャーマン(b〜元ベック・グループ)にコージーと言う布陣でした。エイリーはこの”Na Na Na”のPVではあまり目立ちません。
【紫一家の50曲】35・Believe / Phenomena featurig Glenn Hughes('85)
トラピーズ~ホワイトスネイクのメル・ギャレイの弟のトム・ギャレイが、85年に企画したメロディアス・ハード系のプロジェクト。ギャレイつながりでグレン・ヒューズ(vo)が参加。他にはニール・マレイ(b)、コージー・パウエル(ds)、テッド・マッケンナ(ds)ら、準紫一家が参加しています。ファンキー・グレンは当時封印されてたのかAORとかパワーバラードの世界にも近いです。リリースは当時ガールスクール、モーターヘッドなどを出していたBronzeから。サスペリアのダリオ・アルジェント(伊)監督の同名ホラー映画(ジェニファー・コネリー主演)のサントラはこのフェノミナがやってるのだと思ってましたがまったく別物でした。
【紫一家の50曲】36・Fairground Fantasy / Eddie Hardin featuing Jon Lord & Don Airey('91)
スペンサー・デイヴィス・グループのスティーヴ・ウィンウッドの後任として参加したエディ・ハーディンは紫準一家の構成員として主にジョン・ロード絡みの仕事にサポート。パープル解散間際の「Wizard's Convention」というオムニバスも主催してましたが、SDG時代の盟友ピート・ヨークと組んでのハーディン&ヨーク(dsとkbによる超絶的ユニット)の仕事もありました。85年にハーディンがザック・スターキー(リンゴの息子です)と出したコンセプトアルバム「Wind In Willows」を再現したライヴが91年にありまして、ここにロードとドン・エイリーのパープル新旧kbが参加しています。エレクトリカル・パレードの様なトーンのエイリーのkbはともかくロードのorganはさすがの味わいです。
【紫一家の50曲】39・ Downside Upside Down / Tony Ashton & Jon Lord('74)
ジョン・ロードの親友、トニー・アシュトンのアシュトン、ガードナー&ダイク解散後のアルバムがロードとの共作になるアシュトン&ロードの「First Of The Big Band」です。パープルが設立したPurpleレーベルのタマが少ないことが渡りに船だったのかもしれませんが、断続的に録音された音源をまとめたものが74年にリリース。アシュトン色が濃いのは当たり前ですが、後のPALの世界にも近いビッグ・バンド・ロック。参加ミュージシャンのクレジットはありませんが、BBCでOAされたライヴにはマックス・ミドルトン(kb)、カーマイン・アピス(ds)、ジム・クリーガン(g)、パット・ドナルドソン(b)も参加したとか。この”Downside Upside Down”はいい感じのR&Bです。
【紫一家の50曲】
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