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■The Delbert & Glen Sessions 1972-1973 ('04)
Delbert & Glen Sessions 1972-1973
デルバート(・マクリントン)&グレン(・クラーク)の初期の2枚の2in1。Cleanなるマイナー・レーベルから出てたのでRavenとはいえどありがたい。知らざれるスワンプながら、ボニー・レイットの"Sugar Mama"(オリジナルは"Sugar Daddy")、リタ・クーリッジの"I Feel The Burden"の作者ヴァージョンがききもの。
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a■Sandy ('72)
Sandy
b■Rendezvous ('77)
宇田川町にあった頃の渋谷タワレコは、80's上京すると必ず覗いてたが、日本盤が入手困難な70'sの名盤が米盤で1600台で買えるので重宝してた。サンディー・デニーのaもそんなわけで購入。当時まだフェアポート未体験だったし、何しろこのアルバムの良さがわかるには若すぎたなあ。スニーキー・ピートのsteelの入ったカントリー・ロックもあり。初めて買ったNMMは78年の6月号(すごく背伸びして買った記憶)で、表紙はパティ・スミスだったけど、デニーの死亡記事も載っていた。
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Layla & Other Assoted Love Songs ('71)
Layla
デレク&・ザ・ドミノスのあまりに有名な1枚。このアルバムの凄さに気づいたのもずいぶん後になってから。最初に買ったのはフラッシュにてボロい米Polydor盤だった。クラプトンの南部志向を象徴する1枚だけど、ジョージ・ハリスンの「All Things Must Pass」にもそろって参加している。
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a■All American Boy ('73)
All American Boy
b■Spring Fever ('75)
c■Live ('77)
d■If You Weren't So Romantic ('78)
リック・デリンジャーとウィンター・ファミリーの関係は正直何かよくわからない。脇役、裏方のはずだったのに主役よりも目立つ事しばしばあり。最初は元マッコイズということで、ジョニー・ウィンター・アンドのprodからだったと思うが、いつしかエドガー・ウィンター・グループの重要な顔になっていた。a,bはソロ名義でとりわけヴァラエティーに富んだaは素晴らしい。76年にバンド、デリンジャーを結成。更にハードロックな道を進む。dは当時「ヤング・ジョッキー」で聞いた曲に夢中になったがアルバムとしては大した事ない。
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a■Me About You ('6)
b■Jackie ('72)
Jackie Plus
c■New Arrangement ('75)
d■Best Of Jackie De Shannon ('91)
e■What The World Need Now Is ('94)
ジャッキー・デシャノンは、カリフォルニアのエリー・グリーニッチと言われたssw。60'sにはサーチャーズやソニー&シェールがヒットさせたナンバーの作者としても有名。いわゆるソフトロックの範疇で語られる事が多いけど、自身の最初のピークはバカラック作の"What The World Need Now Is Love"の#1だろう。その後80's初めにキム・カーンズが"Bette Davis Eyes"をテクノ風にarrして大ヒットさせ(オリジナルはcに収録)その作者としてクローズアップされたのが2度目のピーク。更に90's以降渋谷系、ソフトロックのブームで、LPが高騰したした事もあった。bはAtlanticに残した南部風の1枚。個人的には未だ消化し切れてないが・・・ dはRhino、eはEMIからのベストCD。
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■Detective ('77)
Detective
元シルヴァーヘッドのマイケル・デ・バレス(vo)が元イエスのトニー・ケイ(kb)、元ステッペンウルフのマイケル・モナク(b)らと組んだ「スーパー・グループ」がディティクティヴ。レーベルがSwan Songと言うのと重いリズムがゼッペリン的と一部で話題となったが、2枚残してあっさりと解散。確かに重さはあるが、僕はジャック・ダグラスがprodした一連のエアロスミスの作品に対するヴェテランからの回答、と受け取っている。デ・バレスはロバート・パーマーが脱退後のパワー・ステーションに加わりツアーに参加したというニュースが失笑を買った。
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■Too-Rye Ay ('82)
Too-Rye-Ay
80年にParlophoneからデビューしたディキシーズ・ミッドナイト・ランナーは、ノーザン・ソウルに強く影響を受けた大所帯のバンドだったが、レーベルをMercuryに移した82年の2枚目では、ガラッと音楽性を替えてきた。ずばりケルティック・ソウル。バンド名もケヴィン・ローランド&ディキシーズ・ミッドナイト・ランナーズと名乗り、メンバーも大幅にチェンジ。この経緯はよくわからないが、米#1となった"Come On Eileen"はシンセを使った音が主流だったブリティッシュ・インヴェイジョンの中でも新鮮だった。ヴァン・モリソンの"Jackie Wilson Said"もカヴァー