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■Communique ('79)
Communique
ダイヤー・ストレイツの音楽は今こそわかるような気もする。78年のデビュー盤(大ヒット"Saltuns Of Swing"を収録)に続く2枚目で"Lady Wrighter"(邦題は「翔んでるレディー」だった)のヒット曲を含む。マーク・ノップラー(g)がディランの「Slow Train Coming」に参加した事から玄人受けするようになり、80'sのMTV時代も生き残った。dsのピック・ウィザーズは、トリプル・メロトロンで有名なRCA/Neonのスプリング出身。
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■Very Best Of Dixie Cups ('99)
ベリー・ベスト・オブ・デキシー・カップス・チャペル・オブ・ラブ
バーバラ、ローザ、ジョーンから成るニュー・オーリンズ出身のガール・グループがディキシー・カップ。デビュー曲のスペクター=バリー=グリーニッチの"Chapel Of Love"(元々はロネッツに書かれた曲らしい)をリーバー&ストーラーが設立したRed Birdからリリースして、64年に見事#1にした。他にも"People Say","Iko Iko"をヒットさせている。深みはないけど楽しいサウンドで、ニュー・オーリンズならではの仕掛けもある。これはCollectablesからのリリース。
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a■Down By The Jetty ('75)
Down By The Jetty
b■Stupidity ('76)
c■Singles ('86)
71年にロンドンで結成されたドクター・フィールグッドは、パブ・ロックの古典的なバンドとして知られている。リー・ブリロウ(vo,harp)、ウィルコ・ジョンソン(g,vo)、ジョン・スパークス(b)、ザ・ビッグ・フィギュア(ds)の4人組。75年にUAからリリースしたデビュー作aは、60'sのビートバンドを髣髴させるソリッドな音で、モノラルにて録音。カミソリのごとく切れ、寡黙にカッティングしまくるジョンソンのgにシビレる。bはライヴ盤で全英#1となった。この後ジョンソンが脱退しジッピー・メイヨ(g)が参加。長いメンバーチェンジの歴史が始まるのだ。cはその名の通りシングルを集めたコンピ。
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a■Gumbo ('72)
Dr. John's Gumbo
b■In The Right Place ('73)
c■Such A Night ('84)
ニュー・オーリンズの鬼才、ドクター・ジョンは本名マック・レべナック。60'sにはR&Bとヴゥードゥー・ミュージックとサイケが混在化したような音楽だったが、ロックファンに知られるようになったのはミック・ジャガーやクラプトンが加わった「Sun、Moon & Herbs」('71)から。続くaは広くニュー・オーリンズの音楽を一般に知らしめた名盤。bからは"Right Place Wrong Time"がヒット(#9)している。その後ジョン・ハモンド、マイク・ブルームフィールドとバンドを組んだり、A&M傘下のHorizonからジャズ〜フュージョン的な作品を出したりしたが、やはりニュー・オーリンズ・スタイルの音楽は楽しく、ロンドンでのライヴ盤cでも強く感じる。
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a■What'cha Gonna Do ('71)
ワッチャ・ゴナ・ドゥ
b■Waiting For A Song ('73)
ママス&パパスの一番地味なキャラクターだったデニー・ドハティーの初ソロは71年にDunhillから出したa。ことユルさに限ってはかなりの弛緩度だ。とりわけタイトル曲。bはそのユルさが懐かしい凡作。そのドハティーも亡くなり、ミッシェル・フィリップスのみ存命となったのはさびしい限り。
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■Strange Weather ('99)
Strange Weather
アイルランドのフォー・メン&ア・ドッグのメンバー、ケヴィン・ドハーティーの99年のソロ。Believe In Magicのカタログを見て買ったけど、リヴォン・ヘルム&リック・ダンコが参加していた事とウッドストックのリヴォンのスタジオで録音されたことがきっかけ。アイリッシュ系の音はどっちかと言うと苦手だけど、FM&AD時代も米国志向を露にしていたと言うドハティーらしく何の違和感もない。"All Abroad"と"Is This The Summer"が素晴らしい。リリースはKey Recrdingsから。
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a■The Doobie Brothers ('71)
b■Toulouse Street ('72)
c■The Captain & Me ('73)
d■What Were Once Vice ('74)
e■Stampede ('75)
Stampede
f■Takin' It To The Street ('76)
g■Livin' On The Fault Line ('78)
h■Minute By Minute ('79)
i■One Step Closer ('80)
j■Farewell Tour ('83)
k■Make It Easy ('93)
l■Long Train Running ('9)
m■Cycles (')
カリフォルニアはサン・ノゼ出身のドゥービー・ブラザーズは日本でもイーグルスと並んでウエストコーストの代表選手として大きな人気を博した。トム・ジョンストン(g,vo)、パット・シモンズ(g,vo)を中心とした4人組でスタートするが、bでは黒人bのタイラン・ポーター、2人目のds、マイケル・ホザックが参加し、リズム面で大きな進化を遂げる。R&Bに根ざしたジョンストンの個性とフォーキーなシモンズの個性がよく出たbとcは初期の代表作とされる。dではリー・マイケルズのバンドにいた、キース・クヌッドスン(ds)がホザックと交代し、又ホーンズを加えたダイナミックな作風が話題となったが、大ヒットしたのはケイジャンなフォーキー・チューンの"Black water"だった。スティーリー・ダンからジェフ・バクスター(g)が加わって、トリプルgとなったeはジョンストン期の最高傑作だと個人的には思う。ドラッグ問題でジョンストンが療養中にスティーリー・ダンからマイケル・マクドナルド(kb,vo)が参加。それまでリトル・フィートビル・ペインをスタジオ盤では、借りてしのいできたが、マクドナルドが持ち込んだNY的なブルー・アイド・ソウルなセンスに、シモンズも触発され、名曲ぞろいとなったのがf。結局脱退と言う形ではないものの、活動には未参加というジョンストンの状態を尻目にマクドナルド色が、濃厚となり、gの後、漸く脱退が発表される。hはグラミーで4部門を独占したこの時期の代表作だが、デビュー以来のメンバーだった、ジョン・ハートマン(ds)、バクスター、ポーターが辞め、危機を迎えたバンドも、グレープ・ジャムのコーネリア・バンパス(kb.sax,vo)、チェット・マクラッケン(ds)、クローヴァーのジョン・マクフィー(g)、更に名うてのセッション・マン、ウィリー・ウィークス(b)とローディー出身で以前から加わっていたボビー・ラカインド(perc)が正式に参加し、大所帯となったiで乗り切った。しかし音楽性の変化、マンネリにも陥り、旧メンバーをゲストに呼んだツアーの後解散する。ドゥービーほど初期と後期でファン層が違うバンドも少ないが、マクドナルドに引きずられるように音楽性を変化させていった、シモンズの触媒気質こそ、ドゥービーズの象徴な気もする。kはデビュー以前のデモ音源。