#2 1979〜ピーカン・ファッジなど

スティル(K2HD/紙ジャケット仕様)  
中古盤というものの存在を知ったのは、高校に入ってから。「ミュージック・ライフ」誌や「ロッキング・オン」誌(まだ隔月刊だった)にはあまり広告が載ってなかったけど、「ニュー・ミュージック・マガジン」誌には東京の中古屋の広告がいっぱい出てて、気にはなってた(でも具体的ではなかった)。あと大阪のタウン誌「プレイガイド・ジャーナル」の名古屋版「ナプガジャ(=ナゴヤ・プレイガイド・ジャーナル)」にもちらほら広告が載ってた。高校2年になって一人で映画見に行くようになった僕は、地下鉄に乗って今池へ行き、ある一軒の中古屋に出会う。それが今も現役で営業する名古屋の老舗、ピーカン・ファッジだった。
当時(78年)の新今池ビルは、改装前で相当ボロかった*1。雑居ビルにありがちな独特の匂いがプンプンしてたし、すごくアンダーグラウンドな雰囲気だった。当時は2Fが映画館と古本屋だったし、今のような明るい感じ(婦女子でも気軽に入れる店ではなく)では決してなかった。入り口のドアを開けるとフリー・ジャズみたいな音楽がかかってて、当然店員は「いらっしゃいませ」もなし(視線もしっかり合わせない)。いきなり無言で指を指される。鞄はそこに置いて、の意味らしい。初めて1人でそういう店に入った高校生は、ビビるわなあ、そりゃ。細かい分け方があるわけでもなく、多くはイギリス−ハードロック、UK・プログレッシブ、アメリカ・ロック、女性ヴォーカルくらい。それでもパープル・ツェッペリン、ジェファーソン・デッド、オールマン関係、トラフィックフリートウッド・マックイーグルス・ドゥービー、ビートルズとソロ、ストーンズ・フー、クリムゾン・フロイド・イエスELP、(原文のまま)といったわけ方が新鮮だった。 結局この店とは現在も交流あるので、かれこれ30年になる。
で、結局その日買ったのは、クリムゾンの作詞家、ピート・シンフィールドのソロ「Still」の日本盤で歌詞カードなし、音キズありの1200円だった。もちろん検盤するという知識も無かったので、あけてみてビックリで、高い買い物だったのだけど、2500円の半額で買えることが、ビンボー症の僕には衝撃だったのだ。検盤という儀式は、今では清算時に申請して許可されると言うパターンが多いけど、当時この店では、だれもがその場で中を開け盤面をチェック、ライナーを読んでいた。そういうことが許される時代だったのだ。
レンタル・レコードと言うシステムが全国で広がったのが、81年のことだと思うけど、ピーカンは一時それに先駆けて一部でレンタルをやってた記憶がある。借りたのかどうか覚えてないけど(名古屋にはその当時atomというマニアックなレンタル・レコード(御茶ノ水のジャニスみたいな)があった@新栄)、当時は中古と並行して輸入盤の新譜も並んでた記憶。ハートの「ベベ・ル・ストレンジ」はここで買ったけど、店長が名古屋で一番早く買ったよ、と教えてくれたこともあった。

輸入盤を買ったのはその少し前で、もちろん専門店へ行くのではなく、親とデパートに行ったら、松坂屋の催事で「直輸入盤(この直というのがなんか昔っぽい)フェア」みたいなのをやっていて買った(これは鉄道模型フェア、とか映画のパンフフェアみたいなノリだった)。買ったのはジェームズ・ギャングの「Passin' Thru」(もちろんボーリン目当てで買った「Miami」で気に入ったバンドだったから)のカット・アウトと、パープルの「Perks And Tit」。そう初ブート(当時は海賊盤と呼ばれていた。プライヴェート盤とかコレクターズ盤なんて表現はなかった)も体験してしまったのだ。この「Perks〜」はパープル本にも載っていた有名なブートで、3期のカリフォルニア・ジャムと2期のシングルB面曲、1期のシングル曲"Emaletta"が入ったコンピレーション。白ジャケで2色コピーの紙がジャケット代わり。もっともそういうのが当時のブートの基本で、後に西新宿のキニーの広告見て、こういうのがずらっと並んでてビックリしたのだ。

*1:今もボロいが