追憶のレコ屋

#6 東京篇2〜新宿東口

89年から95年まで勤務の為東京にいたけど、この時期はある程度自由になるお金もあったし、独身だったから、猟盤と映画と芝居の日々だった。それまで何度も買い付けに東京へは来てたけど、やはりそこに住んでの猟盤となると、いろいろ違うのだ。しばらくは当…

#5 東京篇1

初めて東京に行ったのは高校2年のときだから、79年。但し初めてレコ屋に入ったのは大学に入ってからのこと。81年。 5月にランディー・マイズナー(日本青年館)、ジョー・ウォルシュ(武道館)のコンサートがあって、上京。そのときは船橋の友人宅に泊まったけど…

#4 新潟篇

81年大学進学のために新潟に向かう。日本海側最大の都市といいつつ、当時は相当な地方都市ぶりだった。新幹線はまだなく東京経由で帰るよりも、飛行機で帰ったほうが早い。TVは民放が3局にNHK入れて5局(その後6局になった)。大きな本屋も3軒しかなかった。当…

#3 1979〜1980

高校時代輸入盤は、前述のヤマギワ、エスミー以外にも買っている。名古屋のチェーン店文化堂がまだフランチャイズ店が日本上陸以前のタワ・レコと提携した、タワー・レコード・ブンカドーは、例の黄色い袋にBUNKADOの文字が加わったやつだけど、ここが当時米…

#2 1979〜ピーカン・ファッジなど

中古盤というものの存在を知ったのは、高校に入ってから。「ミュージック・ライフ」誌や「ロッキング・オン」誌(まだ隔月刊だった)にはあまり広告が載ってなかったけど、「ニュー・ミュージック・マガジン」誌には東京の中古屋の広告がいっぱい出てて、気には…

#1 1975〜1978

買ってもらったのではなく、初めて自分で買ったレコードは、ずっと林寛子の"素敵なラブリー・ボーイ"('75、キャニオン)*1だと思ってたけど、それは記憶違いで、その次のシングル"カモン・ベイビー"('75)だった。 うちから歩いて3分の不二屋レコード。I山駅前…