#5 東京篇1

ワン・モア・ソング(紙ジャケット仕様)  There Goes the Neighborhood
初めて東京に行ったのは高校2年のときだから、79年。但し初めてレコ屋に入ったのは大学に入ってからのこと。81年。
5月にランディー・マイズナー(日本青年館)、ジョー・ウォルシュ(武道館)のコンサートがあって、上京。そのときは船橋の友人宅に泊まったけど、総武線つながりで最初に入ったのは御茶ノ水のユニオンだった。今ではどんな状況になってるのかわからないけど、御茶ノ水橋口を出て正面に4F建ての建物があった。それがユニオン。中古フロアは一番上の4Fで階段でコツコツあがる。このとき買ったのは「セクション登場」と「Natural Progression」(Bernie Leaden & Michael Georgiades Band)だった。
脱線してそのコンサートのことも。81年当時イーグルスは解散宣言しておらず、ほとんどのファンはバンドは活動休止中で、メンバーがソロ活動という意味合いだったと思う。マイズナーは77年に既にバンドを辞め、一時は引退もしてたようだけど、80年にEpicから「One More Song」(これは黒川のマッコイで買った)でカムバック。アルバムではエリック・カズ、ウェンディー・ウォルドマン、キム・カーンズが協力し、シルヴェラドスというバックバンド(クレイグ・ハル(g)、ドン・フランシスコ(ds)、ブライアン・ガロファロ(b)etc)を率いた充実した内容だったけど、来日したシルヴェラドスは、全く別のメンバーで、いかにもツアー・バンドらしいラフさもあって、あまり感心しなかった。それよりも日本でのランディー人気を実感させる、黄色い声援の嵐には、ちょっと戸惑ったなあ(グレン・フライが、日本でランディーが出てくるとガールズは集団ヒステリーさ、とコメントしてたことを思い出す)。あと"Take It To The Limit"がストリングスなしだとなんとも貧弱な印象を受けることを再確認。一方ウォルシュは、唯一の東京公演なこと、当日券ながらアリーナのいい席だったこともあって、いい印象。こちらはジョー・ヴァイターリ(ds,kb,fl)、ジェイ・ファーガスン(kb)、ラス・カンケル(ds)、ジョージ・ペリー(b)をバックにしたもので、よく出来てはいるがスリルのない音(中村とうよう)と評されたこともあったけど。ランディーが黄色い声援なら、こちらはガイジンで、海兵隊の連中がところかまわず♪Rock'n'Roll! America!と連呼。僕の初武道館だった。

今と違い「レコード、マップ」もない、「ぴあ・マップ」のない世界。音楽雑誌の広告から住所をメモり、地図を片手に(そういうことは昔から好きだった、方向音痴だけど)歩く。その時のコースは誰かに教えられたわけではなく、行き当たりばったりだったので、なくなったシスコ御茶ノ水店(ここの雑居ビルのエレベーターのところに「泥棒はん、もう堪忍しておくれ」と書かれた落書きがあった)くらいだったか。

82年に入ると春休みに(3月にプリテンダーズを見た)、狛江に住んでたK太のアパートに泊まって、ずいぶん猟盤した(というか回った)。そのときは彼に案内してもらいながら(まだレコー見て回る。とりあえず覚えてる限りの店名を。
新宿の東口ユニオン、西口(に初めて足を踏み入れたのだ)のえとせとら(ヌード劇場の裏ね)、シカゴキニーディスク・ロード新宿レコード、渋谷のテネシータワーシスコ高田馬場オパス・ワンタイム、池袋のオン・ステージ・ヤマノ、下北沢(まだフラッシュはなかった)のイエロー・ポップ五番街レコファン(まだ北口店しかなかった)、吉祥寺のディスク・オーツカディスク・イン、銀座のハンター、神田のロック・ワーク・ショップ、表参道のパイド・パイパーなど。

更に脱線してプリテンダーズの事も。中野サンプラザだったか渋谷公会堂だったか定かではないけど、2枚しかLP出してないバンドらしい、シンプルな構成。ジェームズ・ハニーマン・スコットもピート・ファーンドンもいたオリジナルメンバー。アンコールは"Wild Thing"と"Whatcha Gonna Do About It"で、当時それがトロッグスとスモール・フェイシズのカヴァーとは知るよしもなかったのだ。