ザ・バン道 その1

マイミクさんの間でザ・バンドとのなれそめを赤裸々に語るのが、流行っているので、僕も。
薄れ行く記憶をたどりつつ書く。
Islands
初めて聞いた、ザ・バンドは77年に新作として出た「Islands」だった。日曜朝11時にFM愛知でOAされていた「ステレオ・サンデー・ミュージック」は東芝が提供なので東芝EMIのアーティストしかかからなかったが。ここでかかったのが「Island」からの"Right As Rain"だったり"Georgia On My Mind"(なんせジミー・カーターが大統領になった年だもの、南部賛歌でカーター応援歌となった)だったわけ。
すでにザ・バンドとしての活動は終わっていたにもかかわらず、また、キャピトルとの契約をこなすだけのリリース(「The Last Waltz」をスムーズにワーナーから出す為に)なのにもかかわらず、そんな事は当時全く報道されてなかった。ましてやロビー・ロバートソンと残りの4人との間で根強い確執があったことなんて、知る良しもなかった。雑誌ではやけに軽くなったザ・バンドと書かれてたけど、僕は何しろ初めてだったので、オッサン気な音楽もいいなあと思った次第(当時中3でした)。
その後「ラスト・ワルツ」の映画公開(伏見にあった「ミリオン座」に見に行った)と前後してサントラ(初めて買った3枚組!)を買って思いっきり好きになった。
The Band
同じ頃東芝EMIが廉価盤シリーズROCK GREATEST 1500というシリーズを始めて、2枚目を購入(先の番組かかった"Across The Great Devide"が素晴らしかった)。ダブルジャケがシングルジャケになってたがそれも知る由はなく、全体を覆うそのシブさにちょっと引いた。今ならそんな事は思わないけど、アメリカという国の歴史背景(南北戦争だとか大不況とか)を知らないとその含蓄深い歌詞は、やっぱりわかりにくい。「ニュー・ミュージック・マガジン」ではグリール・マーカスの「ミステリー・トレイン」が連載されていたが、あれもまだ難しかった。
また同シリーズで出た2枚組ライヴ「Rock Of Ages」を買って、過剰な(と当時は思えた)ホーンarrに少し又引いて、プラマイゼロに。
当時はやっとssw的な音楽にも目覚めてたけど、主には当時のチャートを席巻していたポップロックに夢中だったので、その反動としてシブいやつやプログレを聞いてバランスをとってた程度なんで。

その後大学に入って、中古屋で「Big Pink」を買って、こんなによかったっけ?と改めて再確認。既にリヴォンやリック・ダンコのソロは買ってたこともあって、ふたたびザ・バンドに接近。初めて聞いたときはガースのシンセがうるさくてあまり引っ張り出すことのなかった「南十字星」に慣れたのは、ディランとの「Before The Flood」を買ったからだろう。 3枚目の「Stage Fright」は今もってなじむことは出来ない(多分録音とエンジニアのせいだ)、そうやってるうちに再結成されて初来日。もちろんロビー抜きでケイト兄弟が客演したもの。このときは異様な盛り上がりだった。 伝説のグループとかいってもてはやされて。
ちょうどストーンズの初来日の狂騒ぶりの小さいやつみたいな感じ。渋谷公会堂はオッサン度高かった(僕は当時21歳だったので、年上ばっかと言う印象)。夏休み東京廻りで新潟に戻ったけど、新幹線はまだなかった。コンサートの後は自然と道玄坂のBYGへ向かうが、同輩も多くあの分厚いパンフ*1を抱えてた人も多かった。で肝心のライヴは、誰もが分かってるけど、ロビ・ロバの不在を、あえて口に出すことはなかった(出す人もいたが)。この時点でもまだ不仲説は、一般的には流れていない。
(つづく)

Monaさんからパンフの画像をお借りしました。

*1: