someone#2

Karla Bonoff Live
■Someone To Lay Down Beside Me / Karla Bonoff
70's初めにカリフォルニアで結成されたブリンドルは、その当時A&Mに1枚シングルを残したきりだった(90'sに再結成2枚のCDをリリース)けど、そのメンバーの1人、カーラ・ボノフはソングライターとして名前を高め、76年のリンダ・ロンシュタットの「Hasten Down The Wind」では3曲も取り上げられ一挙に注目されるsswとなった。おりしも女性voブームに沸いた77年にColumbiaから、ブリンドル時代の盟友、ケニー・エドワーズ、アンドリュー・ゴールド、ウェンディー・ウォルドマンらの協力でデビュー。ただし会社は第2のリンダにしたかったらしく、ピーター・アッシャーをprodに迎えた79年作では、フォーキーなナンバーよりもエッジが際立ったハードなナンバーが目立つ、当世風ウエスト・コースト・サウンドとなったが、レーベルがColumbiaだったことから、日本ではAORのブームに利用された感じで(AORの持つアーバンな白人ソウル的な側面はカーラの場合ほとんどない)、道を誤る(^^)。ただしこの日本でのブレイクが、以後何度となく繰り返される再発やら、レーベルとの契約がない時期ですらコンスタントに来日出来たという、熱心なファンを生んでいる。寡作で知られる人で、Columbiaとの契約が切れたあと、80's以降は、インディーを中心に活動。変わらないことの美しさというのも僕はこの人のライヴでいつも感じさせられる。04年のライヴを中心にしたライヴCDが07年ようやくリリースされたが、基本的にシンプルなつくりのものばかりで、arrなども30年前とほとんど変わりない、新曲に交じって30年前のナンバーが、何の違和感もなく納まっているのは本当にすごい。草の根的という言葉は、この人のためにあるような感じ。地道なライヴ活動が実を結んだ好例。このライヴCDは、web販売が主で、セールス的な成功とは程遠いだろうけど、日本のファンはどっこい忘れていないのだ。むしろAOR云々〜という宣伝文句から解放された近年の姿のほうが清々しい。
そのリンダに取り上げられた3曲の1つが、この"Someone To Lay Down Beside Me"で、これは以前からややハードに感じるarr。ニーナ・ガーバーのgもいい。