#11しばらくシスコ関係の話

SURREALISTIC PILLOW

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■Surrealistic Pillow:Jefferson Airplane
しばらくLAから離れます。第5章は「サン・フランシスコ・サウンドの夜明け」という事でジェファーソンです。この本が出た80's初めと現在はカタログの充実ぶりは全く状況が違うのですが、オリジナルJAがリリースした9枚のアルバムは、当時と違い今では楽に入手できます。僕も買ったり、売ったり、買い直したり、また売ったりの繰り返しですが、突き詰めると67年のセカンド「Surrealistic Pillow」と69年の5枚目「Volunteers」で十分な気もします。
タウン・クライヤーズというフォーキーなグループをやっていたマーティ・バリン(vo)が、エドサリヴァン・ショーでのビートルズを見てショックを受けエレクトリックなバンドをやろうと思い立ったという事ですが、ポール・カントナー(g,vo)、ヨーマ・コウコネン(g)、ジャック・キャサディ(b)、スキップ・スペンス(ds〜後にモビー・グレイプ)、シグネ・アンダーソン(vo)というラインナップで66年にRCAから「Takes Off」でデビューしています。すぐにシグネからグレート・ソサイエティにいたグレイス・スリックにvoが代わっていますが、これはシグネの出産に伴う交代だったようです。変わって参加したグレイスがあまりに存在感があったため、シグネは結局復帰することにはならず、このバンドとかかわるには更に30年近い年月が必要となります。

「Surrealistic Pillow」は、今もってJAの代表作として一般的に認知されているもので、"Somebody To Love"(#5)と"White Rabbit"(#8)という2曲のヒットが生まれました。これはシスコ出身のバンドによる初めての全米的ヒットですが、元々はグレイスのGS時代のレパートリーでした。このヒットでいきなりバンドの顔となったグレイスに負けないくらいの存在感を出しているのはマーティで、"Plastic Fantastic Lover"や"Today"が印象的です。またヨーマのアコギソロによる"Embryonic Joueney"もキラリと光るナンバーです。

グレイスがJA以前に参加していたグレート・ソサエティは、66年にNorthbeachというマイナー・レーベルから"Somebody To Love"のシングルを出していましたが、68年にColumbiaがグレイス人気を当て込んで、GSのライヴ音源を買い取り「Conspicuous Only In Its Absence」としてリリースしています。これはこれで悪くない演奏ですが、華はありません。ちなみに曲を書いたダービー・スリック(g)はグレイスの身内でしょう。

Grace Slick & The Great Society

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