ボイス&ハート(Boyce & Hart)

トミー・ボイスとボビー・ハートのデュオは元々モンキーズに入りたくてオーディションを受けたけど、受からなくて曲が書けるんで裏方として採用されたという経緯があります。A&Mに何枚かのシングルがあり、68年の"I Wonder What She's Doing Tonight"(#8)が最高です。75年にはミッキー・ドレンツ、デイヴィー・ジョーンズというモンキーズの残党とドレンツ、ジョーンズ、ボイス&ハートというバンドを組むのですが、日本では2枚目のシングルからニュー・モンキーズと勝手に言われてました

スウィート・カントリー・スウィート

WC027★★★SWEET COUNTRY SUITEーLarry Murray ('71)

Sweet Country Suite

Sweet Country Suite

ラリー・マレイは元スコッツヴィル・スクィレル・バーカーズ、ハーツ&フラワーズのメンバーで、僕は90's後半にこのソロが、日本でひっそりとCD化されるまで存在も知りませんでした。
こういうのを聞いてるとナッシュヴィル産のカントリーロックと、カリフォルニア産のものは全然違うなあと感じます。メロディアスでフォーキーな1枚。後期バーズがとりあげた”Bugler”の作者ヴァージョンが聴けます。若きJ・D・サウザーがdsとして参加しています。

原盤 Verve Forecast:FTS-3090 71年リリース


★★AMERICAN BEAUTYーGrateful Dead ('70)

American Beauty

American Beauty

ずっと1970年のLAの話ばかりしてしてますが、少し北にあるシスコはどうだったのかという話。
サン・フランシスコが、フラワー・ムーヴメントと共に大いに脚光を浴びたのは67~68年頃です。サマー・オブ・ラヴといわれた67年夏のヒッピー達を中心とした連帯的な盛り上がりは、69年12月のシスコ郊外のオルタモントの悲劇といわれたストーンズのフリー・コンサート(黒人観客が会場警備のヘルズ・エンジェルズに殺害されたという事件)をきっかけに、急速にしぼみ、すべては幻想だったと自覚してゆくのです。

69年に「Volunteers」という大傑作を出したジェファーソン・エアプレインはこの年(70年)には、アルバムを出していません。一方シスコロックのもう一つの雄、グレイトフル・デッドは「Workingman's Dead」、「American Beauty」という2枚を短期間のうちにリリースしています。

69年の2枚組の「Live/Dead」でサイケデリックなステージをドキュメント化したデッドは、交流のあったCS&Nに影響されたハーモニーを生かした”Uncle John's Band”を録音。これを含む「Workingman」は、それまでのデッドよりも聞きやすいと評判でした。デッド流カントリー・ロックへのチャレンジはさらに続き「American」では、かなりユルサを感じさせる1枚で、昔は通して聞いてられなかったのですが、久々に聞くと結構ハマります。ジェリー・ガルシアが当時ニュー・ライダーズ・オブ・パープル・セージという趣味バンドを始めていたこともあって、カントリー・ロックの要素が前作よりも色濃いです。もちろんここでの音は学究的なカントリー・ロックではなく、仲間でわいわい的なものです。デッドの中ではロックンロール的な曲を書くことが多いボブ・ウィアが”Sugar Magnolia”、”Truckin'”という2大名曲をものにしているのはすごい。

原盤 Warner Brothers:WS1893 70年11月リリース。

テレンス・ボイラン(Terence Boylan)

Terence Boylan

Terence Boylan

カリフォルニアのssw。兄はprodのジョン・ボイラン。69年の「Allias Boona」は、ボイランのソロ名義だが、実際はドナルド・フェイゲン(kb,vo)、ウォルター・ベッカー(b,g)の後のスティーリー・ダン組にボイランとdsを加えたブーナ・ボイランのデビュー作に近い。Verve Forecastからのリリース。「リリシズム」という邦題のセカンドは、Asylumからの再デビュー盤。当時AORという言葉はまだなかったけど、それに近いテイスト。イアン・マシューズがヒットさせた"Shake It"を含む。「Suzy」('80)はNew Wave的なテイストをも持ったセカンド。それでも"Tell Me"は名バラード。


ゲイリー・ボイル(Gary Boyle)

THE DANCER

THE DANCER

ゲイリー・ボイルは、インド系英国人のgtrでブライアン・オーガーやアイソトープでの仕事で知られた人。77年にリリースされたファーストソロ「The Dancer」(Gull)は、折からのクロスオーヴァーフュージョンのブームもあって幅広く聞かれた1枚でした。それはジャズロックという狭い枠を飛び出した内容だったからで、オーガーに捧げられたハービー・ハンコックの"Maiden Voyage"やアール・クルー風、ウェス・モンゴメリー風と評されたナンバーもありました。ディスコっぽい印象すらあるタイトル曲は、アイソトープのスティーヴ・ショーン(b)とゾウ・クロンバーガー(kb)、サイモン・フィリップス(ds)、ブランドXのロビン・ラムレー(kb)とモーリス・パート(perc)、ロッド・アージェント(kb)が参加した名演。ショーンのケレン味たっぷりなbassソロ、ブランドXの職人パートによるゴング的なperc、セイレーンの様なマギー・パートのスキャットなど聴きどころ満載。

ビリー・ブラッグ(Billy Bragg)

ビリー・ブラッグの登場はちょっとコミカルな感じだった。アンプを背中にしょい、el-gをかきむしるようにして政治的なメッセージソングを歌う「一人クラッシュ」。それがデビュー当時のイメージ。「Lifes A Riot With Spy VS Spy」('84,Go! Disc)は、カースティ・マッコールがカヴァーした"A New England"のオリジナル・ヴァージョンを含むもの。それや牛乳配達の歌"The Milkman of Human Kindness"といった政治的でないものもあった。続く「Brewing Up」は、はちゃんとした形でのファースト。この後来日し僕は渋谷LIVE-INNで見ている。一番好きな"Levi Stubb's Tears"('85)は次の「Talking with the Taxman about Poetry」(prodはジョン・ポーターとケニー・ジョーンズ)に収録。
近年はUSオルタナ・カントリーのウィルコと組んだウディ・ガスリー集を出しています。