職業#4

初期のRCサクセション
■ぼくの好きな先生 / RCサクセション
物書きに続いてずばり教師。
僕とRCの出会いは、深夜放送*1で聞いた"スロー・バラード"でした。「シングル・マン」リリース直後だったのか、それとも廃盤になって、音楽評論家の吉見佑子女史による復刻運動のさなか*2だったのか、もはや記憶にないですが、ヘンな歌い方をするvoだなあ、というのが第一印象で、てっきりもっと年配の歌い手だと思っていましたね。そのうちに電気化したRCのライヴがすごいという話になって「ラプソディー」をラジオで聞いて好きになったのでした。"トランジスタ・ラジオ"の「夜ヒット」出演とか見てね。
さて、70年に"宝くじは買わない"で東芝からデビューしたRCですが、忌野清志郎(vo)、林小和生(b)、破廉ケンチ(g,vo)によるアコースティックなトリオ編成でした。「編成はPPMだけど気持はR&Bだった」というキヨシローの名言がありますが、フォークの編成でありながら、なんかちがいます。残念ながらデビュー作で72年に出た「初期のRCサクセション」は、後で勝手にバックをかぶせられた、という話なので、実際のRCの姿とは違うのかもしれません。ここに収められたヒット曲"ぼくの好きな先生"は、実はずっと昔に耳にした事があった(TVで)のですが、RCとはつながらなく、これがRCと知った時は驚きでした。

(なかなかつながりにくい)
中学高校の美術の先生は「おじいさん」ではなく「おばさあん」だったけど、みんなには慕われてたなあ。「煙草を吸いなあがあら…」という歌詞のように、F先生のところは煙草の匂いがしたし、確かに職員室は好きじゃなかったのかもれしません。こういうRCの青春っぽい(それもストレートな)歌詞世界は、電気化したロックバンドとなってからも生き続け、僕をほっとさせました。"体操しようよ"、"私立探偵"なんて名曲もありました。

*1:AMの深夜放送に夢中になってたのは中学入ってからだから75年ころ。洋楽に興味が完全に移行した78年ごろからほとんど聞いてないっつーか、FMでのエアチェック人生に入ったから中波はソツギョーでした。名古屋は「オールナイト・ニッポン」は1部で終わったので、3時からの2部は(体がもたなかったけど)いつもノイズ交じりだった

*2:初リリースは76年で80年に再発