rock'n'roll#2

アメイジング!
■Rock And Roll Doctor / Little Feat
リトル・フィートの名前が日本のロックファンの間で聞かれるようになったのは、日本デビュー作で「アメイジング」という邦題がついた、74年の「Feats Don't Fail Me Now」からでしょう。元々フランク・ザッパマザーズ周辺のドラッギーなサイケデリックな音だったバンドですが、異色のスライド・ギタリスト、ローウェル・ジョージの存在がやはり大きかった。初期の傑作とされます2枚目の「Sailin' Shoes」は、ネオン・パークのイラストによるジャケットがインパクト十分ですが、後年のファンク臭はあまりありません。
セイリン・シューズ  ディキシー・チキン <SHM-CD>
73年にケニー・グラドニー(b)、サム・クレイトン(perc)、ポール・バレール(g,vo)が加わりジョージ(g,vo)、リッチー・ヘイワード(ds,vo)、ビル・ペイン(kb,vo)の6人体制になっての「Dixie Chicken」は前作と並ぶ初期の代表作ですが、リズムの濃厚さが全然違います。
そしてこの「Feats Don't〜」と続くのですが、シングルヒットなしに#36まであがるヒット作となりました(だから日本リリースが実現したのでしょうが…)。

これは75年にBBCの「Old Grey Whistle Test」に出演時の動画ですが、独特のシンコペートするリズム感覚は同時期のLAのバンドにはなかったものです。粘りつくようなジョージのスライドばかりクローズアップされますが、ビル・ペインの弾くpiano、複雑に絡み合ったリズムは躍動感にあふれています。このTV出演がきっかけになったのかわかりませんが、本国以上に狭いマーケットのイギリスでフィートは人気がありました。76年頃にドゥービー・ブラザーズ、ボナルーとともにWarner Brosのパッケージショーのライヴがあったのですが、ロンドンっ子たちは、彼らの演奏に未だ見ぬアメリカを感じ取ったのでしょうか。
75年頃からジョージの体調が思わしくなく、代わってフロントに立ったのがバレールでありペインでした。とりわけペインの作風は当時流行りだったクロスオーヴァー風の趣もあり、これによってインスト・パートが強調されライヴでの1曲あたりの時間がずいぶん伸びました。その模様を収めたのがロンドンでのライヴになる78年の「Waiting For Columbus」です。
ウェイティング・フォー・コロンブス(デラックス・エディション)

エミルー・ハリス、ボニー・レイットジェシー・ウィンチェスターをゲストに迎えた77年のMidnight Specialから

77年のドイツのRockpalastから